スタッフ通信


VOL.88 2014/04
洗い場
 洗い場をさせると、そのスタッフのスペックがわかる。これは、私の持論です。
 洗い場ってのは、飲食業では絶対に存在する、非常に重要なポジションである。私はそう思っています。
 洗い場は、一見すると簡単そうだが、非常に地味で、大変なポジションである。また洗い場に真面目に向き合うと、極めて奥が深く、ここからその飲食店の全体像が垣間見られる。
 まず洗い場に敬意を表さない奴はたかが知れている。洗い場を馬鹿にする奴は、自分の仕事である飲食店を馬鹿にしているのと同じだ。また自分を無能と言っているのも同然だ。
 洗い場は神聖な場所だ。洗い場は自分の世界観を考えるにはもっともふさわしいと、私は、そう、真面目に思っている。
 たかが洗い物だ。でも、されど、洗い物。それらこれらの汚れた皿は、お客様の日々の苦痛やストレスの証だ。お客様は、それを私達飲食店で吐きだして、汚れた洗い物となって、キッチンの洗い場に戻ってくる。洗い場は、それらこれらをキレイに洗浄する場所だ。時に手のあかぎれや、汚れた水はねや、制服のシミ等と格闘しながら、汚くなった食器を洗浄していく。そうする事で、皿たちは、また新たなるお客様を迎え入れる事が出来るのだ。
 全力で洗い場に向かう事が出来ない奴は、その他の仕事も全力で向かう事が出来ないだろう。洗い場だからといって生意気にも、上からモノを言う奴は、その他の仕事についても、どこか軽視している癖があるだろう。
 だから洗い場はその人物の、人となりを見るにはもってこいの場所である。
 まず洗い場をしろと命じて、一瞬でも嫌な顔をするかどうかを私は見る。飲食店の経験が浅い、ほとんどの人間は、ほんの一瞬、眉をひそめて嫌がる。なんで自分が洗い場なんだろう、その他の奴ではなく、なんで自分なんだろうって思うのだ。これは、ごくごく自然な人間の感情かもしれない。
 出来る奴は違う。洗い場を命じられると、任された、と捉える。決して眉をひそめて嫌がったりはしない。また出来る奴は、洗い場に全力であたる。時にはドロドロに制服を汚して、汗を流して、全力で洗い場をする者もいる。こんな人物は、要領は悪いが、信じるに値する。洗い場に必死になって、一生懸命な、そんな姿を見て、その人物を信じようと思うのもまた、人の自然な感情なのかもしれない。
 洗い場は人の性格もよく出る。せっかちな奴は、とにかく必死に雑なこと雑な事。インテリジェンスな奴は動作がスマートで、洗い物の減り具合が早い。脳みそで、一体どうやったら洗い物が早く処理できるかを考えながら、最短の洗い方をするからだ。気配りの人は、洗い物をしている最中でも、その他のポジションや、その他のスタッフの事をよく察知している。だから洗い場から、ちょくちょくヘルプの手を差し伸べたりする。
 洗い場に全力で、これを否定せず、いつもボルテージ変わらず、洗い物を頑張っているスタッフが私は好きだ。決して洗い場だけに集中する事なく、時に笑顔をみせたりして、気の利いた会話を投げかけたりもして、さも、洗い場を楽しんでいるかのごとく、明るく、洗い物をしているスタッフがいたとしたら、そんなスタッフはいつもチームの中心にある。そんな過去の光景が私にはある。だからそんなスタッフがいたりすると、私はすかさず声をかけて、責任ある仕事を任せる事にしている。洗い場とは、そんな場所なのです。

 失礼ですけど、魅力のない人って、上から、モノをいってきませんか?   イチロー

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