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スタッフ通信
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VOL.79 2013/07
チームプレイ
この夏が最後の試合になるって事を聞いて、バスケの引退試合を観戦しに、長田野体育館まで行きました。私の長男15歳、最後の試合・・・。真夏の蒸し暑い体育館の中、黄色い声援や怒号が聞こえています。私には初めての観戦です。
興味がなかった訳ではないが、思春期の息子に嫌がられるので、見に行くのを躊躇していました。でも、実際に行ってみると、非常に考えさせられました。中学生のバスケの試合。最後の夏の試合に向き合う彼ら。少しセンチメンタルな心模様とは別にして、論理的に考えさせられたのです。今月はそんな話を、ぐちゃぐちゃって、書こうと思います。
まずバスケってのは、5人で行います。実はこう見えて、私もバスケに夢中でした。私の中学時代のバスケットチームは最弱だった。5人の中で、背の低い私は、常にポイントガードってポジションでした。ポイントガードはゲームの司令塔役で、攻撃を組み立てたり、アシストを出し、得点を演出する役です。だから、ゲーム全体がよく見えてて、選手達の動きを予測し、ゲームそのものの流れを読む能力が必要です。いわばポイントガードの能力はチームの強さを大きく左右するのです。
基本的にスポーツには色々なポジションがある。サッカーだって、野球だって、それぞれのポジションが、それぞれの仕事をして、ゲームは流れていく。よく言うが、4番バッターばかりいたって試合には勝てない。それぞれが、それぞれの役割を担ってて、互いの信頼が根底にあって、そして、ゲームは流れてく。
残念ながら当時の私はそんな事がわからなかった。大人になるつれて、私は、自分の出来そこないが理解できるようになり、猛烈に学習をしていくわけだが、当時は、こんなに練習している俺達が、なぜ、こんなに弱いのかが分からなかった。
今、目の前にいる中学生達は、あの当時の私達が、なぜ最弱だったのかを、実に論理的に、わかりやすく教えてくれた。私も大人だから、頭では、すでに理解出来ている。学習もしたから、何が問題だったかもわかっている。しかし、目の前の中学生の彼らの試合は、そんな事をドライな感じで、改めて私に、見せつけてくれた。
まず、彼らは至って冷静だった。混乱する事もなく、動揺することもなく、至って冷静だった。そんなように私には見えた。私が見に行った時すでに、彼らは10点程リードしていた。点数を取られて差がなくなっても、彼らは冷静だった。ファールでペナルティシュートになった時も、ドンマイドンマイと声をかけて、ファールをしたチームメイトの体にタッチしていた。そのジェスチャーがとても優しく見えた。あんな風にされたら、失敗したって、前向きになれるかも、そう、思えた。
彼らは、自分の仕事を実によく理解していた。彼らは、その時に何をするべきかを、よく学習しているように見えた。ゴールが入れば、すぐに気持ちを切り替えて、相手陣地に攻め入る。相手側が攻め入ると執拗にディフェンスをする事なく、シュートミスのタイミングを待つ。リバウンドを待つセンターポジション。速攻攻撃の機会を狙うフォワード。それぞれがそれぞれの仕事を冷静にこなしているように見えた。無駄な筋肉の消費がまったくなく、非常に機能的な動きのように見えた。
ミスが多いチームが負ける。バスケはそんなスポーツだったかなって思うほど、彼らは、相手のミスをうまく利用して、流れをどんどん引き寄せていた。それぞれのポジションは、連携しあい、常にアイコンタクトを欠かさず、何か指先でサインのようなものを利用して、互いに励ましていた。
シーソーの上を行ったり来たりするボールのように、コートの北と南を行き来する彼らの仕草が、中学の時の私とシンクロした。私はあんな風に、自然な動きで、出来なかったなぁ。どこか、バタバタしてた・・・。どたどたしてたって言った方がいいかもしれない。ボールは、サッカーのようにコロコロ転がり、もみ合い、しわくちゃになって、奪い合い、気づけば、それは味方だったりしてた。アイコンタクトなどどこにもなく、猛烈な批判や責任のなすりつけが目立った。チームメイトに対する優しさはうわべだけで、いつもパスを待っていて、シュートばかりをみんなが狙っていた。個人プレイの連続だったのだ。
彼らは違う。まるで、池に浮かんだ、はすの葉の上を、転々とボールが跳ねあって、面白いように、ゴールに入って行った。はすの葉のそれぞれは、いつも周りのチームメイトを気遣っていた。淡々と進む試合の中で、彼らは、あまり疲れていないように見えた。相手チームは確実に疲れが見え隠れするのに、なぜ彼らは疲れないんだろう。それは見えないが、頭脳プレイに徹しているからだろう。無駄がないのだ。
途中、彼らは、チャンスがあれば、どんどんシュートを打った。失敗もたくさんした。でも、そのたびに、仲間は笑顔で、ナイスシュート! と、声をかける。変な言い方だが、のんびりとした空間が、そこには流れているように見えた。それは相手チームとは明らかに違っていた。私が中学の時には、確実にそんな空気はなかった。チームメイトの失敗を許せなかった。失敗が怖いから冒険も出来ない空気感があった。険悪な感じだった。
彼らは、決して、他のポジションのテリトリーに口出しはしなかった。他のポジションに信頼がある証拠に見えた。かと言って、ピンチの時は、みんなで助けに行った。彼らを見つめていて、よくよく論理的に考えてみた。今風の若者が繰り広げるバスケの試合と、今風の居酒屋がやってる事は、まったくもって、同じだなと私は感じた。
同じだ。やっている事はまったく同じ。改めてそれを感じた時、私は、大人も子供も関係ない。経験もテクニックも関係ない。大切なことはもっと別のところにあると、そう感じた・・・。どんどん点数を入れるチーム。・・・どんどん売上を上げるチーム。いけてるチーム、いけてないチーム。その差はテクニックとか、頑張りとか、根性とか、そういうんじゃない。大人の私は、今や、そんな事はわかっている。でも、わからなかった。今まで、それが、あいまいな感じで、よくわからなかった。それを蒸し暑いけど、ドライな彼らの試合は、鮮明に、映像で、私にわからせてくれたのだ。
彼らは結局、2位だった。途中で私の息子はベンチに戻って行った。淡々と、椅子にすわった時、汗をタオルで拭った。誰かが「お疲れッ!」といった。軽く手をあげて息子はそれに応えた。別段、センチメンタルなのは私だけで、彼らは、いたってクールだった。監督がボードで何やら指導していた。じっとそれを皆は聞いていた。学習の時間だろう。頭脳にインプットしている情景は、実にデジタルチックだった。根性と気合で負けたゼロ戦国家日本と、IQと統計で核爆弾を落として勝利したアメリカが、私の中でシンクロした・・・。今、目の前にいる若者たちは、実にドライに学習と研究をしている。
彼らの時間は歯車ように回転し、そこに感情の起伏が、見られなかった。しかし薄情とかではなく、刻み込まれる統計とデータ。まるで、顧客の情報を忘れないように、ノートに記載する店長の光景とかぶった。
試合は続いていった。彼らにとっては、すべてがすべて、淡々と、事が運ばれていった。時に大きな歓声と共に、笑顔が広がったが、スポットライトを浴びてないメンバーは、すぐに次の行動を考えて実行していた。なんだか気持ちがよかった。すっきりした。息子の成長に喜んだわけでなく、まるで、居酒屋の営業に似た、その試合ぶりをみて、心の中がすっきりしたのだ。そうだ、大切な事は、そういう事なのだと、改めて、心の芯から思い知った・・・。アナタの店に、大切な事、しっかりと息づいていますか?
お互いの長所欠点を良く知り合い、そして欠点を補い合う。そこから共同の仕事の発展が生まれる。 松下幸之助(松下電器産業創業者)