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スタッフ通信
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VOL.72 2012/12
カッコイイ、とは何か・・・
仕事の出来る奴は恰好が違う。私が好きだった先輩の言葉だ。その先輩はいつも素敵だった。長い髪を後ろでギュッと束ねていて実に恰好が良かった。憧れの女性だった。仕事が出来る人だった。回りの男性陣にいつも指示をしていた。仕事が出来ない私はよく叱られた。叱られるたびに言われた言葉がある。恰好の悪い男は仕事が出来ない。カッコイイ男になれ! と・・・。
今年最後のスタッフ通信は恰好についてを書こうと思う。おそらくはこれを読んでいる頃アナタは新年を迎えている事だろう。今年はぜひ、身なりから入って、仕事の出来るカッコイイ人になってもらいたい。
とかく、人間ってものは恰好で人を判断する。だから仕事が出来るかどうかを知りもしないのに、相手の形(なり)を見て判断したりする。それは当人にとって実に損な事だ。だからまずは恰好から入って行こう! カッコイイ姿や形で自分に気合を入れて、仕事に対して、ちからいっぱい挑んで行こう!
では、カッコイイってどんなだろうか。仕事が出来る人は一体、何が違うんだろうか? 私は今まで、多くの恰好良い先輩や同僚を見てきた。彼や彼女達の一体何がカッコイイと思わせるんだろうとよく考えた事がある。相手のフリをみてなんとか私も仕事が出来るようになりたい。そんな一心で、私は仕事の出来る人をよくよく観察した。
まず恰好良い人ってのは、だらしなく動いたりしない。だらしなく動くとは猿のように、だらだらと動く事。人の動きは脳の鋭さを表している。良く考えている人は動きに無駄がない。だからいつも、動きが緩慢ではなく、俊敏だ。そしていつもショートカットである。一流ホテルマン。トップアスリート。これらすべては熟考の上で出来た動きだから、とってもカッコイイ!そして動きに無駄がないのだ。
それにカッコイイ人ってのは、いつも毅然としている。毅然とするってのは、簡単に言えば、自信にあふれているって言うことだ。いつも迷いがなく、老齢でも矍鑠(かくしゃく)としている。支持率の高い政治家や困難に立ち向かう革命家のように、毅然とするその姿は自信となっていく。そして自信はその人の姿勢となって、形となって、格好良く見えるものだ。いつも自信をもって前進するその姿がカッコイイのだ。
また恰好良い人ってのは、みすぼらしくない。いつも確然としていて、パリッ! としている。それは身なりであり、服の皺であり、髪型であり、眉先であり、唇であり、瞳のすべてである。当社にもこんな人がいっぱいいる。サロンであり、切っ先(きっさき)であり、まな板であり、手さばきである。私はそんなカッコイイ職人たちに囲まれて、教えられて、こうして今までやってこられた。心から、深く感謝しているし、彼らを心底尊敬している。
それに恰好良い人はいつも清潔だ。身の回りがスリムでシンプルだ。職人達の腕はだいたいにおいてキッチンの美しさを見ればわかる。まな板の置き方も完璧だ。それに合わせて切っ先も並行だ。冷蔵庫の中には一点の汚れもなく、魚をさばいても、端切れの乱れは一点もない。サロンの汚れた奴は良い仕事が出来ない。つまり仕事が出来ない奴ほど服装は乱れ汚れるのだ。スーツの乱れた営業マンにろくな奴がいないのと同じで、制服の乱れた者に仕事が出来る訳がないのだ。
カッコイイ奴は、周りに対する配慮が違う。恰好の変化に敏感で、少し様子がおかしいとすぐに気づく。熱があるのかな、何か失敗をやらかしたか、髪型がかわったんだね、前よりも上手に出来るようになった。恰好良い人は、いつも周りに対して心配りをする。気遣いをする。だから皆に慕われる。そして皆を慕う。カッコイイって事は気遣いでもあるのだ。
恰好良い人ってのはいつも、自然だ。気負っていなくて、不快感がなく、そして、誠実だ。誠実だから、恰好良い人のまわりにはいつも誠実な人が集まる。類は友を呼ぶから、カッコイイ人の周りはいつも恰好良い人が集まる。誠実とは、「あざとさ」がないって事だ。「あざとさ」とは、人を陥れようなどとたくらむ事であったり、抜きんでてやろうと意識したりする事だ。野心やたくらみは時として、人をドロ臭くさせる。カッコイイ人はそんな切羽つまった感がない。いつも自然で、さらりと事をやってしまう美しさがある。
そして、格好良い人は、いつも自分の事を恰好良いとは思っていない。だから恰好良くあるよう、自らに対して実に厳しい。自己管理が徹底していて、いつもストイックだ。そして努力を惜しまず、寡黙に前を見つめている。どんなつらい状況でも決してあきらめる事なく、前を向いて前進しようとする。そしてそんなひたむきさを見た時、私達は力を差し向けよう、助けてあげようと考えるのだ。だからカッコイイ人の周りにはいつもたくさんの支援者がいる。仲間がいるのだ。
またカッコイイ人は決して人のせいにしない。私の好きだった先輩も、いくつかの失敗をした。それを私は目撃した。失敗に対して、カッコイイ人ってのは、いつも失敗のとらえ方が違う。失敗は未来の糧だと思っている。成功を求める為に失敗は必要で、大切な事は、失敗に対してどう向き合うかである事を知っているから、失敗を決して他人のせいにしたりはしない。まじめに失敗とどう向き合うのか。大切な事は失敗から何を学ぶのか、それをしっかりと知っているのだ。
恰好良いとは、すなわち、なんだろうか? 姿や形だろうか? カッコイイとは、私は思うのです。恰好良い・・・、それは、人が生きていく営みに対する姿勢であり、考え方であり、スタンスであり、信念であると。だからそれは、姿形であるようにみえるが、決してそうではない。恰好良いとは、すなわち、人生の生き方、向き合い方なのだ、と私は思うのです。少なくとも私が見てきた格好良い人達はそうであった。
そして、私は、私を見つめるのです。今年一年、私はカッコ良かっただろうか。と・・・。残念ながら、そこにある私は悲しいほどに、不恰好で、泣きたくなるほどに、理想から、かけ離れている。恰好良くあろうと努力はしたが、まったく、ぜんぜん、恰好良くない、そんな自分・・・。そんな私を思った時、ため息が漏れすぎて、鏡に映る私を曇らす程だ。年末、途方に暮れた子供のように、今年一年間の自分を恥じる。一生懸命になって、頑張ったのに思うようにならず、日暮れのように、淋しい気持ちになって落胆する。ため息は深く、疲れて、ボロボロになって、そんな姿を思い浮かべては、これじゃぁいかん! と奮起するのです。
あのね、残念で、むなしさ残る一年だったとしても、朝日が来るように、また新たなる一年の幕開けはやってくる。だからね、だから、今からでも遅くはない。今から始まる一年間を徹底的に恰好良くやってやろうじゃないか! 私はいつもそうやって、自分を言い聞かせて、新年を迎えるのです。
この一年間、みなさんにとってはどんな一年だったでしょうか? 良い年だった人も、良くない年だった人も、うまく成果が出ない年もある。人生にとって、最高なる年なんて、そうそうあるもんじゃない。だから心を切り替えて、また新たなる年度に対して、挑んでいこうじゃないか! 未来は輝かしい! きっと輝かしい! 貧乏ったらしい心は捨てて、心機一転、新しいこの年を、良きものとするために、まずは恰好から始めよう。幸福なる、えびす神が、アナタの肩越しに微笑みかけてくれるよう、まずは恰好良いから始めよう。本誌がアナタにとって、勇気や活力になってくれれば幸いです。
今年一年、幸福の神が、アナタに力をもたらすことを、私は、心から祈っています!
自分には 自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、
他の人には歩めない。
自分だけしか歩めない、
二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広いときもある。狭いときもある。
のぼりもあれば、くだりもある。
坦々としたときもあれば、
かきわけかきわけ汗するときもある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、
思案にあまるときもあろう。
なぐさめを求めたくなるときもあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、
いま歩んでいるこの道、
とにかくこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられている
かけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心を奪われ、
思案にくれて立ちすくんでいても、
道は少しもひらけない。
道をひらくためには、
まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは
必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。
松下電器産業株式会社 現パナソニック 創業者 松下幸之助
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