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スタッフ通信
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VOL.66 2012/08
「おしぼり」に愛をこめて
その昔、居酒屋や飲食店で「おしぼりくださ〜い」なんてお願いをすると、決まってその店の店主は、怪訝な顔で嫌々ながら1本のおしぼりをもってきたものです。20年以上も前の飲食店のお話です。努力しなくても商売が出来た時代。まぁそんな嫌な店ばかりとは言いませんが、少なくとも「おしぼり」は大切なものでした。コストが今よりかかっていました。ホイホイとくれたりしないものでした。たった1本の「おしぼり」を店主から頂くのになんでこんなに嫌がられるのか。私の記憶にそれは痛烈に残っています。
そして私は自分で飲食店を始めました。「おしぼりくださ〜い」の言葉に、昔のトラウマからか、両手いっぱいに、なんでこんなにたくさんってくらい山盛りの「おしぼり」を、お客様にあげました。20本のひとたば以上です。むろんお客様は、苦笑と共に大変喜ばれました。お子様が客席にいたので多く必要だったのもあります。
細かい事かもしれませんが「おしぼり」にだって私のこだわりはあります。皆はどう思うかわかりませんが、私にとっては、たかが「おしぼり」されど「おしぼり」です。接客をする上において、「おしぼり」は極めて大事なアイテムなのです。
そもそも「おしぼり」は生鮮食品と同様に賞味期限がある。新鮮であれば新鮮であるほどいい。よく古びた酒場で、臭い「おしぼり」を手にする事がある。あれが私は絶対に許せない! ひどい場合は半分乾燥している場合もあったりする。飲食業としては論外だ! 「おしぼり」が生ものだという事を知らないのだ。そんなひどい店だと、そのあとに何を食べてもその店の料理は大丈夫かと思うくらいだ。だから「おしぼり」の鮮度には徹底して意識する。「おしぼり」の鮮度が悪いと、キッチンの仕事を台無しにしかねないくらいに重要だと考えているからだ。
私はオープンする前に必ず、今からご提供する「おしぼり」をひとつ使って匂いをかぐ。顔面をダイナミックに拭く。手をふく。わきの下を拭く。この時、心地いいかどうかを確認する。「おしぼり」が新鮮かどうかを見るのだ。大丈夫なら店をオープンするが、問題だと感じた場合は、すべての「おしぼり」は撤収して新しいものをセットする。「おしぼり」はお父さんにとっては最初に疲れを癒してくれる大事な友達なのだ。
最近の「おしぼり」は紙製の物が多い。白いビニール袋に最初から入っている。アルコール除菌もしている。厚手のものも出てきている。すべて使い捨てで便利極まりない。言わば冷凍食品と同様に「おしぼり」の賞味期限も長い。だからチェーン店はほとんどこういったものを利用する。だけど私はこれがあまり好きではない。肌さわりというか、手触りというか、顔さわりというか。気持ちよくない。ツーンとしたアルコールのにおいも嫌だ。そもそもが石油化学製品だから、満足の限界があるのだ。だから、せめて「おしぼり」は布であってほしい。チェーン店ならそれは諦める。チェーン店じゃないなら、それは絶対に布であってほしい。人は化学製品より、天然由来の自然物質の方が無意識的にこれを好むと考えているからだ。
「おしぼり」は季節に合わせて、温かかったり冷たかったりしてほしい。これはオペレーションとしては大変面倒な事だ。正直できない。客席が多いと絶対に出来ない。どうしても手渡しが前提になるし、温度管理を行う機材も必要になる。冷やすといったって他の食材の匂いがつかないように意識しないといけない。専用冷温庫なんて置く場所も限られる。温めるといったって、一度温めると次の日には菌が繁殖してそれは使えない。臭くなるのだ。だから私は、一番自然体で、手間がかからず、完璧な理想形ではないけれど、お客様が使うにはいい。スタッフも大変じゃない。そんな形での提供はないかと考えてみた。それが今の状態の「おしぼり」の提供方法だ。本当はもっともっとお客様にいろいろとしてあげたい。でもやるには危険が多すぎて手をつけるべき領域ではないって考えたのだ。それに今の状態でも顧客満足度がマイナスではないはずだ。「おしぼり」の品質管理がしっかりできていればの話だが。
「おしぼり」を手渡しする飲食店をよく見かける。大事な事だし大切な事だ。でも、みんなわかってない。「おしぼり」を手渡しでお客様に渡すって事は、極めて優れた接客能力を要するって事を。そんな行為は誰にでも出来るものではない。接客を極めているスタッフにしかそれは許されない。チェーン店の中でも訳がわからず、「おしぼり」を手渡しするスタッフがいる。ルーティンワークにそれがなっている。スタッフにすると、それが行為なのだ。一連の流れ作業なのだ。そうじゃない。「おしぼり」を手渡しするって事は私から言えばそうじゃない。お客様の顔色をみる。今日がどんな感じの1日だったのかを感知する。会話の糸口がないかどうかを一瞬で察する。「おしぼり」を渡す。気の利いた言葉を投げかける。会話になる。それにお客様が喜ばれる。お客様の笑顔を見て私達も笑顔になる。その後に出すお料理は、最高のパフォーマンスとなってお客様に届ける事が出来る。キッチンは喜ぶ。ホールもうれしい。つまり「おしぼり」の手渡しはそういう事だ。お客様との最初のコンタクトだから余計に緊張する。接客の高等テクニックなのだ。
こだわりはまだある。うざいと思わず読んで欲しい。そもそも「おしぼり」は他店が出しているのと同一であれば、別段、紙の「おしぼり」でいいと私は思っている。要は同じなら出さない方がいい。つまり「おしぼり」は、そのお店のこだわりを一番アピール出来るわかりやすいアイテムなのだ。それが競合店と同様のものならマイナスイメージでしかないと私は考えている。よって私達の店の「おしぼり」はすべて、なすび色だ。最初にこれを導入する時、業者に無理を聞いてもらい大量に新調してもらった。そして私達以外の店に卸す事を許さないと言っている。だから業者が私との約束を今も守っているなら、この近隣で同じ色の「おしぼり」はないはずだ。今もないと信じたい。
「おしぼり」の質のこだわりパターンはいろいろだ。さわれない程に熱いもの、凍っているもの、真っ黒なもの、よくあるパターンだ。いつかどこかでみたことがある。だからお客様はそんなに驚かない。「おしぼり」は大量に扱うから、手間がかかり、現実はそれ以上の事がなかなか出来ないのだ。以前、氷の上におしぼりがのっかっている店をみた。すごくこだわっている。驚いた。でもその後、そのサービスはなくなった。コストの問題かどうかわからないが、現実論としては出来ないのだ。悔しい限りだが、無理に挑んでスタッフを窮地に追いやるのはバカなリーダーのする事だ。
いつかしてみたいと思う「おしぼり」のアイデアを少し書く。ハーブの香りが付けてある緑色の「おしぼり」。カフェにはいい。木綿で出来た手ぬぐいの京「おしぼり」。1枚1枚その日に巻いた完全手作りの「おしぼり」。広げるとパンティになっているガールズバーの「おしぼり」。真剣です! こういったこだわりが大事なんだ。女子の方ごめんなさい。でも真剣に考えているのです。
やって出来ない事はないが、でも出来ない。大変過ぎて出来ないのだ。そして大変な割には、そんなに大きなインパクトにはならない。だからやらない方がいいかもしれない。いつかカウンターだけの店を作って、そこでやってやろうと思っている。
話がそれた。「おしぼり」について、どうしても忘れてはならないこだわりを最後に。
「おしぼり」には愛がなくてはならないと私は思っている。それはお客様に対する愛だ。最初にお客様の手に触れるものだから、そこにある形が偽物だと、簡単にお客様に見透かされてしまう。愛のある「おしぼり」と愛のない「おしぼり」。それは雲泥の違いだ。昔よく行った焼き鳥屋で「おしぼり」を手巻きしていた。とっても繁盛していた。店は儲かっていた。でも手巻きをしていた。大将のこだわりだろう。そのうち、おかみさんに子供が出来た。「おしぼり」は既製品になった。
「おしぼり」について、出来る事と出来ない事。そりゃ、いろいろとあるだろう。でも「おしぼり」に愛をこめて、このフレーズだけはどうしても忘れないで欲しい。
仕事ができる人は、仕事を楽しむ。 P.F.ドラッカー(アメリカの経営学者・社会学者)