スタッフ通信


VOL.66 2012/06
飲食店を科学する!
 先月から、「良いお料理」ってなんだろうってお話をしていました。今月はその続きです。
 そもそも、「良いお料理」って、一体なんだろうって悩む前に、しっかりと区別するべきことがあります。それは業態からみる消費者ニーズです。おっと、いきなり難しい話になってきたぞ! 消費者ニーズって? では出来るだけ簡単に説明しましょう。
 そもそも私達は飲食業です。そして飲食業とはすなわち食べ物商売って事です。でもね、この食べ物商売って色々あります。カフェもあれば、ファストフードもあるし、ファミレスのようなレストランもあれば、居酒屋やスナックやバーやスイーツ等々。もう分類していくといっぱいです。そしてそんなこんなを全部合わせて外食産業(飲食業)って事になる。だから「良いお料理」って言ったって、どんな外食ビジネスかって事でその内容は随分と変わってくるのです。これが業態からみる消費者ニーズって事です。
 ではとりわけて、ここでは、外食産業の中でも、レストランビジネスと居酒屋ビジネス、との違いについて話してみようと思います。レストランビジネスってのは、すなわちお食事を中心に販売しているお仕事です。メインがお食事なのでファミレスやイタリアンや定食屋さん等、外食産業の中で一番多いお店の数をほこります。その反面、居酒屋ビジネスは、宴会や飲みを中心としたビジネスで、メインがお酒やドリンク販売となり、アルコールが主力商品となるビジネス様態です。
 レストランと居酒屋ではピーク時間や曜日売上などがまったく違ってきます。またレストランと居酒屋では対象となる顧客も違ってきます。それはよく似ているが全然違います。まるで床屋さんと美容室ほど違います。居酒屋とレストランでは何もかもが違うのです。
 私達が運営する飲食店のうち、なすグループはそのほとんどが、酒場、居酒屋ってことになります(月美屋さんはフードコートレストランです)。またFC事業部が営業している情熱ホルモンは、レストランと居酒屋ビジネスの中間点に位置していると言っていいでしょう。その店舗がある場所や、広告戦略によって酒場として利用されたり、レストランとして利用されたりするって事です。どちらにしても酒場の利用性ってのは避けられません。
 うーむ、飲食店は奥深いですねぇ。そして奥深い飲食業をさらに科学します。そう「良いお料理」のお話です。飲食店の分類はわかったが、酒場、居酒屋にとっての「良いお料理」って、一体なんだろう? そもそもが、今月はそのお話です。
 各ビジネスの特徴からみる「良いお料理」って? ここからは私的見解です。経験からくる私の考え方ですから間違いもあるかと思いますが・・・。
 まず、レストランビジネスの「良いお料理」とは、絶対的に売れる商品だとおもいます。それはすなわち、数が出る料理、さらに言えば利益率のいいお料理です。つまりレストランでは「良い料理」は主力メニューであり、稼ぐメニューって事になるかと思います。そこに亜流などは必要なく、奇を衒ったメニューなどは在庫ロスやオペレーションロスとなり、敬遠されます。またどんなに美味しい料理を作ってみても、それが救いの手になる可能性ってのは少なく、その考え方は余計に店舗運営を苦しくします。立地条件や資本力(価格競争力)が生死を分けるレストランビジネスでは、どうしても上述のようになってしまうのです。
 上記のようなことからして、レストランビジネスの中では、シェフが考える「良いお料理」を出すことが、なかなか難しい。つまりは「良いお料理」のイニシアティブを、シェフの側にもってくることが難しい。それが今のレストランビジネスの現実であり、厳しさなのだと思います。
 では、酒場・居酒屋にとっての「良いお料理」ってのはどうでしょう。
 それはいつの時代もめまぐるしく変わっていきます。レストランビジネスでは激しい動きはなくても、酒場・居酒屋ビジネスでは、かなり短期間でビビットに変わっていく。だから難しいんです。しかしね、変わらない普遍的なものもある。いつの時代も変わらない安心感って事でしょうか? 「良いお料理」として、変わるものと変わらないものがある。そんなこんなを、ないまぜにする。それが居酒屋ビジネスの特徴でしょうか・・・。
 私は考えます。そして今もそれは考え続けています。これからずっと考えるんだろうと思います。居酒屋にとっての「良いお料理」っていったいどんなものなのかを・・・。
 私の考える、酒場・居酒屋の「良いお料理」とは、まず絶対的に、顧客に求められなくてはいけない。徹底的に顧客に求められるメニュー。ビールと共にそこになくてはならないメニューです。それは腹が膨れてはいけない。噛む作業が欠落してはならない。粗食(素食)でいい。たくさんなくていい。でもそれを所望したいと思うメニューでなくてはならない。居酒屋で熱いスープを出したって、それは帰り支度の時でもない限り、喜ばれたりはしない。求められないのです。「良いお料理」ってのは求められるメニューでなくてはならないと私は考えているのです。
 次に「良いお料理」とは顧客に絶対に迎合してはいけない。一人の顧客がマズイって言ったって、そんなことは気にしなくていい。わかる奴にわかる料理を作ればいい。そしてごく一部に熱狂的なファンがあればそれでいい。マズイか旨いかは顧客の勝手な判断だ。自分が旨いと信じるなら、突き進めばいい。ただし、熱狂的なるファンがいない場合や少ない場合、それは本当にマズイからやめた方がいい。このバランスが難しい。熱狂的なるファンがじんわりと増えてきたなら、ホールスタッフに心から感謝し、その仕事ぶりに、たくさんの事を学ぶべきである。もし熱狂的なるファンが増えてきたことを、料理の味のおかげだとおもうのなら、それは本当の意味でのシェフではなく、ただの蛙だ。そんなシェフはいつも井戸の中に帰っていく。悲しいことです。
 更に「良いお料理」とは、いつの時代も革新的な斬新さがある。驚きがある。記憶に残り、その料理を食べたいがために、顧客は遠くから足を運んでくれる。そんな吸引力がある。レストランビジネスでそれはなかなか難しい。その理由は、そんなメニューを出すには価格を取らねばならないからだ。レストランビジネスで価格を取れば、それは、晴れの日ビジネスであり、割烹であり、コースであり、料亭ビジネスだ。それはレストランではない。でも酒場・居酒屋は価格を取る。滞在する事が命題のビジネスだから価格をとるのだ。酒場・居酒屋は、牛丼の価格の2倍3倍もするメニューをバンバン売る。それが酒場であり、居酒屋ビジネスだし、価格を下げたからといって、客が来るとは限らない。なぜなら酒場は、酒場の雰囲気を楽しみに来るのであり、料理はその中心的アイテムであるからだ。だから故に、しっかり適正なる価格をとって、すばらしいメニューが出せる売価を設定し努力することが肝心だ。つまり私達は定食屋のように飯だけを食わしているのではなく、心を、私達の心意気をお客様に召し上がっていただいているのだ。それを忘れてはいけない。
 もっと言うなら、「良いお料理」にはストーリーがある。バックボーンがある。ディテールがしっかりしてて、コンセプトにマッチしている。コンセプトを外すとどんな料理も腐ってしまう。中華酒場でカプレーゼを出されても困惑してしまう。スペインバルでらーめんを出す店は絶対につぶれる。それぞれの状況に応じたコンセプトを外さない料理、それが「良いお料理」の最低条件だ。そしてそれぞれの料理の特徴をよく知ったコンシェルジュのようなホールスタッフがいて、そのサポートをうまく利用して、未成熟だった料理は、時間と共に、成熟し、本当の意味で、「良いお料理」に進化していく。
 「良いお料理」は、年月と共に、多くのシェフが真似をして、一般化し、大衆的となり、やがては革新的新鮮さを乗り越えて、記憶の根底にへばりつき、日常の風景となる。そしてこれがお料理の普遍化ってものだと私は思う。
 「良いお料理」ってのは、郵便局のデザインに良く似ている。〒のマークは、当初、斬新で、かつ、多くの議論を呼んだデザインだ。しかし今となっては、誰が見ても一目瞭然となり、それは一瞥すれば、ひと目で郵便局だとわかる。誰もが、その歴史的背景を知らなくても、そのマークを見れば、姿や形をみれば、その香りや光景をみれば、無性に腹が空き、冷たいビールが飲みたくなる。友達と会いたくなる。語りたくなる。本当の意味での「良いお料理」ってのは、そんなものだと思う。
 つまり「良いお料理」とは、その存在感を感じないのに、巨大な安心感がある。毎夜、いつも、食卓に上がってきても、ハッとするもの。それが嬉しくて新鮮な気持ちになるもの。それはすなわち、食文化に溶け込んでいるもの。または食文化に今から溶け込もうとするもの。食文化とは、人々が食べるという行為をする中で、ウエルカムとして迎え入れられ、定着している慣習とでも表現すればいいだろうか? だから、いつも、「良いお料理」とは、永遠に普遍的で、食文化の王道のど真ん中だが、時に、これを外れ、変化し、さらに進化して、また食文化の王道に戻ってくる。
 細かいことを述べればキリがない。「良いお料理」ってのは器がいい、見た目が美しい。色彩が美味しそうなのだ。シェフの芸術的センスが問われ、個々のシェフで絶対的なる差が生まれる。それが色彩感覚だ。また「良いお料理」ってのは、いい匂いがする。いい香りがする。知的な女性が持つ、内面から放たれた香りによく似ている。時に日常で、時に淫靡で、時につややかだ。匂いにつられるってそういうことだと思う。男性側視線で申し訳ないが、酒場にアダルトな香りは欠かせない。妖艶でいたずらな雰囲気がない酒場は繁盛しない。それは料理の香りとあいまって、男女の垣根を越えて、その嗅覚や心を刺激する。さらに「良いお料理」ってのは、絶対的なる、粋なセンスに裏打ちされている。これがみんなわからない。粋なセンス・・・。それはいつの時代も、シェフのセンスだ。すばらしいセンスをもったシェフが作る、酒場のおつまみは、いつもすごくドキドキする。そんなシェフを私は知っている。それは食べる者の心をくぎ付けにし、また眠る前になると、その景色を、光景を、食べる味を、一緒にいた仲間を、どうしても思い出す。それがシェフのセンスで作られる「良いお料理」ってものだ・・・。
 だから結局、「良いお料理」ってなんなんですか! そんな声が聞こえそうだから、もうここらで書くのをやめておく。「良いお料理」を突きつめて考えるのは、私ではなく、アナタでなくてはいけない。そして、この、永遠未回答なる、難問の答えを出すのも、アナタでなくてはいけない。もちろん、私には私の持論がある。繁盛店として居酒屋が行うべき「良いお料理」の持論が私には、まだまだ、たくさんあるが、それはアナタにとって、とっても古びた考え方かもしれない。でも、そんな私の、滑稽な持論を読むことで、アナタが「良いお料理」を考えるきっかけになればと思います。
 私達が常にお客様に提供しているその料理って、本当に「良いお料理」なのか、どうか・・・。飲食業にたずさわって、たくさんのお客様とふれあって、笑顔を頂き、元気をお配りする。そんな中で、私達は、「良いお料理」ってものに、真剣に向き合わなくてはいけない。それは今以上に、そして、毎日、新しいものとして更新され、さらにお客様にフィードバックされ、またさらなる「良いお料理」とは、というテーマに向き合う。その作業が面倒だと思った瞬間に、飲食業のお仕事はひどく面倒な作業になってしまうのです。
 キッチンにて汗を流しながら料理を作っている皆さんや、ホールに出て日夜、奮闘しているスタッフからの、反論や賛同を大いに巻き込んで、筆の止まらぬ今月号の長文を許して頂きたい!

料理は芸術であり かつ高尚な科学である  ロバート・バートン イギリスの東洋学者・旅行家

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