スタッフ通信


VOL.61 2012/01
驚きと感動
 お正月に酷い高熱になり、ながら見で、ものまね番組を見ていました。その中で最近登場した女性ものまねタレントをひと目見て、ある種の驚きを覚えました。見事のひと言につきると感じたのです。その声量と音域。本家の歌声より上手いんじゃないかと思うほどでした。こんな新人がまだ未発掘のまま眠っていたとは。ドキッとする驚きでした。
 さらにながら見は続きます。正月ならではの大学駅伝を始めて見ました。スタートからラストまで見るのは初めての事です。つながれたタスキを次の選手に渡していく過程を見て、だんだんと心が高ぶり、ラスト近くでは胸が熱くなり、深く感動しました。駅伝ってじっくり見ると感動を呼ぶんだなぁ。グッと涙が出そうになり、これをこらえながら、倒れていく選手達の映像を見ていました。
 私の熱は40度近くに達し、何日も続きました。立ち上がる事も困難な中、テレビはAKB48の特集をしていました。それは彼女達のデビュー当時の不遇時代がどんなに大変だったかを放送したものでした。AKB48の事はよく知りません。彗星のように登場したタレントだとばかり思っていたので、そんな不遇な時代があったとは驚きでした。彼女達は不遇な中でもあきらめず、不屈の努力をしていたと知って、とても感動しました。ファンになったのかもしれません。AKB48に驚きと感動を覚えている私がいるのです。
 そもそも、感動とはいったいなんだろう。驚きとはいったいなんだろう・・・!? 
私達は飲食業をしている。飲食業とは感動と驚きを与える仕事だと私は思っている。ならば感動や驚きとは、一体どのような心の作用なのだろうか?
感動や驚きを、与える者と、これを受ける者。この両者の心の仕組みや仕掛けを知れば、人生は豊かになるに違いない。そう思って私は感動と驚きの言葉の意味をずっと探してきた。そして私にはその意味が、ほんの少しだが、わかるようになった。社会に出て、涙が流れて、笑顔があって、また歩き出す。倒れそうになって、実際に倒れて、また立ち上がり、汗をぬぐう。私はそんな人々の光景を何度も何度もみてきた。時にはそんな光景の中に私達もいた。そして、だんだんと感動というものがどんなものか? また驚きというものがどんなものかがわかるようになってきた。
 私はそんな感動や、驚きや、これにまつわる、ひとつひとつを、飲食店において、実に丁寧に、何度も何度も繰り返した。それは本当に大変な作業だった。でもその大変さの中で、お店はどんどん繁盛していったのです。
 お店に感動と驚きは必要です。その意味や真相を、みんなと一緒に探していければと私は思っている。感動や驚きの正体がわかれば人々は必ずワクワクするだろう。感動だとか、驚きだとか、まったくもって臭いセリフだが、これをないがしろにする者に笑顔は来ないと私は思っている。暗い世界を感動と驚きの言葉で照らすことが出来れば、それはきっと何かの役に立つだろうと私は思っているのだ。
 感動と驚きは飲食店にとって血液のようなものです。飲食業にとって驚きのない店舗は最低です。二度とその店に行く必要はないだろうと私は思います。また飲食業にとって感動のない店舗は最悪です。感動のない飲食店はすぐに熱が冷め、店は繁盛しなくなるだろうと私は思っているのです。
飲食店が血流をもち、きちんとお客様を人として扱うお店になるには、感動と驚きが、どうしてもなくてはならないのです。そしてそれがないお店は、早晩に、血脈を失い、やがては自然死する事でしょう。
さて、アナタの働くお店に驚きや感動はありますか? 最近はあまりワクワクしないなあ。感動するお客様の顔を長くみてないなぁ。そんな気持ちが湧いてくるなら、小さな声でもいいから、それを発してみてください。「うちのお店はあまり面白くないぞ!」そんな声は、同僚たちの心の中に入り込み、小さな竜巻となって始まりを起こし、やがては大きなハリケーンに変化し、そのお店を、物足りなさの血栓からきっと救ってくれる事でしょう。正常なる飲食店は、そんなささいな心のひと言から、劇的に変わるものです!
「一喜一憂」をのぞいて我々の人生にいったい何が残るというのか? 野中日文(著述家)

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