スタッフ通信


VOL.54 2011/06
万年筆の持つ意味
 先日とあるスタッフからメールがきました。内容は、
「社長! 私、働くということがしんどいです。だいたい、人はいったい何の為に働くのでしょう! 私は一体、何の為に働くのかがわかりません!」
といったものでした・・・。フレッシュな君。頑張り屋さんの君。君はまだ、私の半分ほどしか生きてない若輩者だ。しかしこの私もまだまだ大馬鹿者。トンチンカンな事を書くかもしれないが、適当にこれを読んでくれ!
 昔。小学校時代に私が大好きだった先生は、いつも1本の、あまり高価でない万年筆を、そりゃぁ大切に持ち歩いていました。ある時、その万年筆が先生のうっかりミスでなくなった事がありました。そりゃもう一大事でした。授業もほったらかして午前中かかってみんなで探しました。でも万年筆は結局みつからず、先生の落胆ぶりは尋常ではありませんでした。みんなで落胆し、悲しくて泣き出す者もいた程でした。
 それから随分と月日が流れ、私も大人になり、同窓会にてその時の話を先生にした事がありました。私の記憶の中でずっと気になっていたのです。
 先生は私に気さくに言いました。
「あの万年筆はワシにとっては人生の象徴だったんだわ・・・」と。
 先生は続けて、あの万年筆は近所のスーパーで安売りしていたものを買った事。自分はその万年筆を20年以上もの間、修理しながら大切に使っていた事。またその万年筆は今まで本当にたくさんの字を書いてきた事。その字はたくさんの生徒と共に歩んできた事。今、そしてこれからも、たくさんの字を書いていくだろうと思っていた事。そんな事をしんしんとしゃべってくれました。名もない自分を安売りの万年筆に投影させて、若い教師が数々の生徒と時間を共にし、まじめに教職を聖職だと思い勤めてきた。そりゃ大変な事も多々あり、その度ごとに万年筆に語りかけながら自分を勇気づけてきた。若い自分が教師として立派にやっていけるのか不安になった時も、いったい何をどうすればいいのか路頭にまよった時も、万年筆と自分と生徒をダブらせて教職を歩み続けてきた。いわば自分にとっては、人生そのものに見えたくらいに、大切にしていた万年筆だったんだわ、と・・・。
 たくさんの経験と共に、たくさんの働くという意味を、七転八倒しながら感じ、人生を歩いてきたのかなぁ・・・。あの万年筆の黒っぽい光沢は、今も私の脳裏にくっきりと残っています。
 不安な時代です。夢や希望や未来などがさっぱりと見えなくなる。それが今の時代です。
 そんな時代の中で、働きつづけるという事は、とっても困難な事かもしれない。しかし私達は命ある限り働きつづけなきゃならない。すなわちそれは、人生を生きぬくことであり、人間を形成するって事かもしれない。人はたくさんの時間を働く事に費やす。家事、育児、業務、これすなわちすべて働くって事。
 君も私もまだまだ若い! 働く事に意味を求めても、今すぐに答えが出るものでもなかろうに。そして君が求めている、働くことの意味ってのは、人生は何故生きていくのかってくらいに哲学的だ。
 今はそんな事考えなくてもいい。目の前の障害物を徹底的にたたきつぶしてやる! そんなくらいの程度がちょうどいい。今もし君が、なくなった万年筆の持つ意味を、深く諭され、理解したとしても、それは単なるカンニングに過ぎない。なぜなら答えは千差万別。君や私、それぞれの人生に左右されるのだから。

そんなに大層なことはこの世の中に一つもない。大概笑ってごまかせることだ。森繁久彌

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