■■■■■
スタッフ通信
■■■■■
VOL.40 2010/04
「美味しい」とは一体・・・?
よく皆が口にする「美味しい」の言葉。さて今月は、この「美味しい」の言葉に頭を傾けてみようと思います。そもそも「美味しい」とは千差万別、人それぞれの嗜好によってかわりますよね。あの人は美味しいと言うけど私は美味しくない。それは状況によっても色々と変わってきます。大好きなあの人と食べるそれは美味しい。でもあの人とでは美味しくない。おなかが空いている今は美味しいけど満腹の今はそうでもない。
料理は状況によってその味を変えます。なのに「美味しい」とは一体・・・。そもそも「美味しい」の普遍的なる定義ってあるのでしょうか? 特にキッチンで料理をするスタッフは、これを日々考えて業務を行っている事だと思います。では「美味しい」とは一体・・・?
私は「美味しい」の定義をよく考えます。随分と長い間、この「美味しい」の定義を探し続けてきました。そして私なりに「美味しい」とは、もしかすればこんな事ではないだろうか? っていう定義があります。それは・・・、
1,「美味しい」とは「美味しい」と言われる(思われる)数が絶対的に多いこと
2,「美味しい」とは「美味しい」と感じてもらって販売する(売れる)回数が多いこと
3,「美味しい」とは、食習慣の中でいつも期待した想像を裏切らない事
4,「美味しい」とは期待した想像を裏切っても「美味しい」を伝える説得力があること
5,「美味しい」とはそれを提供して「ニッコリ」する事が出来ること
私が考えている「美味しい」の定義とはこのようなことです。つまり、「美味しい」とはすなわち、食文化の日常に対する浸透性と意外性の両方を意味し、いつも「ニッコリ」して、かつ売れる商品でなければならないと思うのです。
「食・・・」。つまり食べると言うことは人々が長年行ってきた本能行為であり、歴史であり、文化です。食べる事はすなわち生命の維持であり、喜びの証のはずです。だとすればどんなに「美味しい」料理であっても、「美味しい」かどうかを決めるのは決して提供する側ではなく食べる側にあると思うんです。食べる側が「美味しい」かどうかを決める。そしてその事を理解していても分かっていない(実践出来ない)飲食事業者がいかに多いことか・・・。
飲食業者は今、本当に「美味しい」ものとは何かを失いつつある時代だと思うのです。「美味しい」という言葉の中にある本質は一体なんなのかを無くしてしまいつつあるって事です。
飲食店が飽和状態にある今、私達はそれでも生き残っていかねばなりません。そして本当に生き残っていく事が出来る飲食店とは、顧客にとっての「美味しい」を心の芯から追求し実践する事が出来る飲食店です。そして「美味しい」とはいつの時代でも、人と人との心のふれあいの中で始めて発する事が出来る言葉であり、それは、ひとえに今これを読んでいる、アナタの力によるところが非常に大きいということなのです。
「美味しい」の言葉の意味、この言葉の意味を追求する事・・・。飲食店ってのはこの作業なくしては成り立たないし、「美味しい」という言葉の深淵には、実は、たくさんの大切な何かが隠れているように思えてならないのですが・・・。
アナタにとっての「美味しい」とは一体どういう事ですか? 奥深いですよねぇ・・・。
美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。 オードリー・ヘップバーン