スタッフ通信


VOL.30 2009/06
器(うつわ)

「物腰はやわらかく、事にあたっては毅然と」
 これはイギリスの著名な政治家 (教養人) であるフィリップ・チェスターフィールド氏の言葉です。人間の器の大きさと、その人の持ち合わせている物腰の様相とは、まさに相関関係を有していると言うことです。
 物腰のやわらかい人は間違いなく心の器は大きい。
 一方、 そうでない人の器は小さい。
 ではここでその物腰を3つのレベルに分けて考えてみましょう。今から書くのはとあるビジネスコラムから田中英二氏の引用です。
 ※以下、自分や周りの人に置き換えて読んでみましょう。

 器の本当に小さい人は、いつも威張っています。部下に指示を出す時は、声を威圧的に張り上げたりします。怒っている様相を表面に出す事において、自分より立場の弱い人間を押さえつけようとします。自分より格上の人と接する時も、極力自分自身を大きく見せようとします。相手の非を少しでも見つけた場合など、とたんに強気に高圧的になる。威圧的な声の大きさや態度のぞんざいさでしか、自分の力を誇示出来ない小心者なのです。見せかけの強さを本当の強さと錯覚する程度のこれまた小心者達に囲まれて親分気取りで生きていく、これが器の極めて小さい人の典型的な例です。

 並の器を持ち合わせている人は、自分自身が尊敬出来る人には物腰をやわらかく接する事が出来る。しかし自分の嫌いな人、自分より明らかに格下の人には、やわらかい物腰が取れない。人間として、ある意味、常識的で一般的であると言えなくはないでしょう。

 大きな器を持ち合わせている人は、 どんな状況、どんな人に対してもやわらかい物腰で接する事が出来ます。物腰のやわらかさは、百利あって一害なしと私は思っています。物腰のやわらかさは、厳しい交渉の場においては、厳しい交渉の中味をオブラートに包んでくれます。とんでもない無理をお願いしている時にも、物腰のやわらかさは中味をやわらかく変身させてしまうという特徴があるのです。威張り散らしたレベルの低い人と話をする場合にも、相手が勝手に優位に立ったと勘違いしてくれます。この勘違いは相手には致命的で、かつ、こちらの器の中に包み込んでしまっているので、やがて相手は自分自身がその人に絶対的に勝てないことを悟るのです。

 どんな時にも、主張の中味を変える必要は全くない。きちっと自らの主張をすれば良い。ただし、物腰はやわらかく・・・。
 誰に対しても威張り散らすのは下の下です。
 すべての人に物腰をやわらかく接する事の方がとっても簡単。
 相手によって態度を使い分けるのは、実は、極めて難しいのです。
さて、あなたのチームのリーダーや上司はいかがですか? そしてアナタ自身は、はたして、いかがですか? 私自身にも自戒の念を込め、本日はビジネスコラム−考える種−からの引用でした。今からすぐにでも、心して取り組みたいものです。
 私たちは他から得たもので生活をし他に与えることで人生を作っていく W・チャーチル

【戻る】