スタッフ通信


VOL.3 2007/03
幸福の花

 デカルト(哲学者)によると、人が人として自分の存在の意味を追求するのは本能なのだそうな。それはどうしても避けては通れない本能・・・。
 では聞きます。みんながこの世に存在する意味は一体何だろう? 
 世の中にとって自分は役に立っていると感じる。それを単純に嬉しいと思う。これはごくごく自然な人の気持ちで、存在意味を確かめているのとそんなに違わない。
 人はいつも人の為になりたいと考えているものです。いわば本能的にね。
 不幸な人を見て同情するもそう。親切心が芽生えおせっかいを出してしまうもそう。古今東西、老若男女、人とはそういうものなのです。
 みんなの心には人に愛され、人を愛したいという本能があり、それは自己の存在を確認する作業のひとつでもあるのです。
 ではもう一度聞きます。みんなは一体なぜ生きている? なぜ存在している? 難しいよなぁ。生きていくことの意味を探すヒントとして重要なこと、それは働く事の意味を知るという事です。人を作るも、変えるも、成長させるも、その大半は労働の中にある。生きている時間の大半は普通、労働に消えていくし心の葛藤の大半は労働にあるからだ。ちなみに家事も育児も主婦業という立派な労働だ。
 じゃあ言葉を変えて、みんなは一体何の為に働く? 生活の為、金の為、そんな事は当たりまえだ! そんな単純な答えではなく、みんなは一体なぜに働く?
人生はとっても短い。そんな短い人生の中で金の為だけに働くことが何と悲しいことか・・・。たくさんの時間を費やして働くなら、金や生活の為とその他の理由を持って働いた方がいいに決まっている。一度で二度美味しいだろう。それは幸福の方程式だと私は思うのですよ。なぜに働く?=なぜに生きる・・・。この質問を自分に問いただした時、人は働く事の意味を知り、生きる事の意味を知る。そして大きく成長を遂げるのだろうと思うのです。
 人は誰しも使命を背負って生きている。その使命を感じる事ができるかどうか・・・。
 道のはしっこに咲いた花に気付いても、その尊さを感じなきゃ意味がない。あそこにもここにもたくさんの幸福の花が咲いている。問題はそれを感じ知る事ができるかどうか・・・。
 働くことの意味を知り、深く感じ、理解すれば、日常の大半を占める労働時間のかくも楽しいことか。と私は思うのです。みんなは一体何の為に生き、何の為に働いているのだろうか? 金と生活の為以外の理由でね・・・。その答えが見つかった時、かくも人生は愉快で、まるで幸福の方程式が解けたような、そんな瞬間なのだとオレは思うのです。
 辛さの中にある楽しさ・・・。そう、酷くしんどく見える仕事でも、目の前のそこに今、楽しい事が山盛りだ。それに気付かない人と、気付き、肌身にしみて心から味わい、感じる人・・・。どちらもこちらも、人の心次第なのだ。
 みんなは一体何の為に生き、何の為に働きますか? その問いの答えを知れば、世界は変わるだろう。それに気付く事か出来るだろうか・・・。
 ほら、今、そこに、辛さの中にある楽しいことがたくさんあって、生きていく意味の鍵が見え隠れしているのに、なんでそれに気付かない。なんでそれを感じない。すぐそばにあるにも関わらず、何でわからない。そう思うと、不幸なことだよなぁ・・・。
 道のはしっこに咲く、幸福の花も、見て、何も感じなきゃ、次第に枯れるだけだ・・・。

自覚さえすればどんな生活にだって深い意味が出来る。    永井荷風「月光」から

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