教育監査の
コラム


VOL.250 2016/02/16

社長は、いつも温和で優しい。

感情的になっているのをほとんど見たことがありません。

諸事情などで、遅刻をしてしまうかもしれない連絡をすると「気をつけてきなさい」という優しいメールが返ってきます。

器の大きさが感じられるポイントを知りたいと思い、ある日、聞いてみました。

「どうしていつも穏やかなんですか」

すると、思わぬ答えが返ってきました。

「小さなことだから気にしてない」


ハッとしました。

ささいなことだから、気にしていないだけです。

あらためて考えると、私たちがイライラするのは、どれもこれも本当にささいなことばかりです。

コーヒーがこぼれた。

遅刻した。

無視された。

服に汚れがついた。

うまく話ができなかった。

あの人が腹立つ。むかつく。


別にけがをするわけでも命を取られるようなわけでもない事で、イライライライラ。

器の大きい人たちは「気にするなら、小さなことではなく、もっと重大なことを気にしなさい」と考えています。

「器が大きい」とは、こういうことです。

大切なことは、「何を気にするか」です。

小さなことにとらわれてはいけない。

ささいなことは、いい意味で「鈍感」になればいい。

気にしない。

ケガをするわけでも、命を取られるわけでもないんだから、無視していい。

それは悪い意味ではなく、いい意味です。

どうせ気にするなら、「重要なことを気にすること」です。

遅刻の報告をしたとき「気をつけてきなさい」というメールの真意が分かりました。

もちろん遅刻はよくないけど、別にケガをするわけでもないし、死ぬわけでもない。

それより重要なことは、遅刻で焦ったがために事故を起こさないか、ということです。

焦りは誰にでもある。

でも、急いで焦って信号無視でもして交通事故に遭うほうが大事件です。

それは命に関係します。

たかだか10分ほどの遅刻でも、焦りが出ると、判断力が低下して、交通事故を起こす可能性が大きくなる。

死んだら最後。取り返しはつかない。

だから社長は、一歩先を読んでいた。

遅刻をしたときに「気をつけてきなさい」というメールには、そういう器の大きさが見えました。




遅刻はダメ。

でも、遅刻より、働く仲間が、大事な人が、遅刻で交通事故にあわないかを気にする、そんな人になってください(*^_^*)

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