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教育監査の
コラム
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VOL.183 2015/12/11
人に恩を受けたら、「ありがとう」とお礼をいう。
自分に非があったときは、「ごめんなさい」と素直に謝る。
いずれも、特別なことではなく、いわば「あたりまえ」のコトですよね。
人と会ったらきちんと挨拶ができる。
一度約束したことを守る。
困っている人がいたら手を貸す。
時間を守る。
これらも同様に「あたりまえ」のことです。
でも、その「あたりまえ」がなかなか出来ない人が増えてくると、「あたりまえ」ができる人が貴重に見えてくる。
不正や悪事をやっておきながら、「他の人もやっている」と開き直り、自分に都合がいいように「あたりまえ」を解釈しようとする人もいます。「みんながやっている」からあたりまえ。
「他にもやっている人がいる」から、「自分もやっていい」という話は通らないはず。
肝心なのは、自分の中の常識や道徳観に照らしあわせて、それを守っていけるか、通していけるか、です。
挨拶をしないと、相手が不愉快な思いをするから挨拶をする、という訳ではないし、約束を破ると、相手から嫌われるから約束を守る、のではないですよね。
知り合いに会ったときは挨拶をする。挨拶をするのが当たり前だから挨拶をするんです。
人に一度約束をしたら、約束を守ることは、人としてあたりまえだと思うから、約束を果たそうとするんです。
そこには、「他の人がどうだから」とか「相手がどう受け取るか」という余計な思いはなく、
もし、「この人は挨拶をしておかないと、後が面倒だ」「ここは謝っておいたほうが得策だ」などとこざかしい思いが入ってくると、人間関係がギクシャクし出してしまうと思うんです。
利や欲がからむと、表と裏ができて、その人の本心が見えなくなると思います。
本心が見えない関係は信頼感が崩れ、お互い疑い深くなり、嫉妬心が生まれ、争いが始まる。
いずれ、「二度と会うこともない」という間柄になる。
「これは自分にとってあたりまえのことだから、あたりまえのようにやる」のがなんといっても一番いいですよね。
人間が人間として生きていくのに一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪し、なんです。
金曜日ですね!各店忙しいとは思いますが、体調崩さないでくださいね(*^_^*)