教育監査の
コラム


VOL.161 2015/11/19

『平等』

これを辞書で引いてみると
「全て等しく差別が無いこと」と書かれています。

私達は、小さい頃から平等であることを善しと教えられてきました。

でも「平等であること」は、本当に善いことでしょうか?

差をつけること自体は決して悪いことではありません。

「あの子は俺の後輩だから」とか「あの娘はタイプだから」…

そんな「個人的な物差し」で差をつけるから問題なだけです。

誰もが納得する物差しで差をつけることを「公平」といいます。

例えば。

3人の子供がお母さんのお手伝いをする。

一番上のお兄ちゃんは要領よく適当にサボっている。

2番目と3番目の弟は、お風呂も洗い、掃除もし、買い物まで行ってきた。

「本当に助かったよ。お手伝いのご褒美にケーキあげるからね」といって、お母さんはケーキを3等分にした。

これが「平等」です。

お手伝いを頑張っても、頑張らなくても皆、同じ。

下の弟2人に言わせれば「兄ちゃん、そりゃないだろ」という気持ちです。

差をつけないことが、実は一番の差別なのです。

ちゃんと差をつけなければいけません。

これが「公平」というものです。

あなたは、お客さんに「平等」ではなく、「公平なサービス」をしていますか?

おじいちゃんも、おばあちゃんも、子供も学生も皆んな同じサービスではいけないんです。

ファミリーもカップルも同じ対応じゃダメなのです。

例えば、その日が誕生日のお客さんに、あるいは結婚記念日のお客さんに、皆と同じように「ご来店ありがとう」ではなく、「おめでとう」といってあげるこ とが良い意味で差をつけることなのです。

この差は、誰もが納得する「公平なサービス」といえます。

サービスを「平等」にしてしまったら、もうそれはサービスとは言えません。

マニュアルという作業の領域を越えた時、そこに初めて「そのお客さんだけの演出」が存在するわけです。
だからお客さんは嬉しい。

サービスとは「差」をつけることなのです。


「お客さんに対して平等であってはいけないの?」

そう感じる方もいると思います。

たくさん買ってくれたお客さんは、お店の外で最後まで見送るけれど、そうでないお客さんは「ありがとうございました」の言葉だけ…。これでいいのかと。
もちろん良いわけない。

これは、個人的感情を物差しにしたものであって、誰もが納得する物差しとはいえないからです。

「皆同じ=平等」にすることが、公平なことだってあるんです。


今日も頑張りましょう(o^^o)!

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